大正6年発行地図と災害年表マップから岩泉町の過去の水害を読み解く。

台風10号により多大な被害を受けた岩泉町。

僕も被害を受けた一人ですが、少しでも早く復興していきたいという思いで、泥かきや支援物資の配達など、災害復旧活動のお手伝いをしてきました。

その中で聞こえてきたのは、記録に残る中では、ここまでの水害は初めてのことだ、ということ。数々の証言もそれを裏付けているわけですが、では記録に残っていないほど以前はどうなのでしょう。

昔は堤防も現代のように立派なものはつくれないですし、危ない土地にはそもそも建物を建てないとか、危ない土地だとわかるように名前をつけるだとか、今とは異なる形の減災を実施していました。今回被害を受けた土地はもともとどのよな場所であったのか調べてみました。

 

スタンフォード大学による明治〜昭和初期の日本地図公開

 

古い地図を探していたらヒットしたのがこれ。なんと日本全国どこでも無料で見ることができます。

stanford.maps.arcgis.comの日本地図

乙茂エリア

さっそく岩泉町も調べてみましょう。まずはグループホーム楽ん楽んや岩泉乳業、道の駅いわいずみがある乙茂エリア。

旧地図(Map by stanford.maps.arcgis.com)

旧地図(Map by stanford.maps.arcgis.com)

現在の地図(Map by 国土地理院)

現在の地図(Map by 国土地理院)

 

 

現在の地図と見比べてみると、旧地図には小本川と国道の間の土地には何も建っていません。グループホーム楽ん楽んや岩泉乳業、道の駅いわいずみは、もともと何もなかった場所に建っていることがわかります。

よく旧地図を見てみると、

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その部分は荒地となっており、氾濫原として、その他の用途に利用しなかったのではないかと推測できます。

その仮説が正しいいとすれば、あのあたりは、過去に何回か水害があった土地だということになります。だからこそ「空き地」だったのです。

 

岩泉地区

次は岩泉町の中心部の岩泉地区を見てみましょう。

旧地図(Map by stanford.maps.arcgis.com)

旧地図(Map by stanford.maps.arcgis.com)

現在の地図(Map by 国土地理院)

現在の地図(Map by 国土地理院)

 

今回、岩泉地区の向町は特に甚大な被害を受けました。私の住むのもこの向町です。2つの地図を見比べて目につくことは、昔は役場が向町近辺にあったということです。以前は今にも増して街の中心地であったことが伺えます。

地図で見ると左から流れてくる小本川と上の方から流れてくる清水川の交わる地点にも数多くの建物が建っています。この事実から考えるに、大正時代以前数十年はこのあたりの大きな水害はなかったのではないでしょうか。今回の水害は少なくとも100年はおこっていない規模のものであるということが裏付けられます。

 

安家地区

私が頻繁に泥かき作業に入っている地区です。ここも家屋が流されるなど甚大な被害を受けました。

旧地図(Map by stanford.maps.arcgis.com)

旧地図(Map by stanford.maps.arcgis.com)

現在の地図(Map by 国土地理院)

現在の地図(Map by 国土地理院)

 

2つの地図を見比べる限りでは、安家地区は大正時代にはほぼ今のような風景になっていたと思われます。やはり話を聞くと何度か川の氾濫はあったと言いますが、今回の規模のものは初めてとのこと。この旧地図を見ても、少なくとも大正時代以前数十年はこの規模の水害はなかったのではないかと推測できます。

 

災害年表マップから水害の形跡を探る

 

国立研究開発法人防災科学技術研究所が作成した災害年表マップというものがあります。ここでは、歴史に残っている災害(地震、火山、風水害など)を全て見ることができます。それも、なんと西暦416年からです。当時の中心地は西日本なので、大昔の災害の記録はほとんど西日本しかありませんが、それでも分かりうる全ての災害の記録が見れるとはすごい!

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災害事例データベースは、日本全国の歴史時代から現在までの災害事例をデータベース化したものです。出典資料は日本全国の市町村の地域防災計画より、災害事例を抽出しています。市町村の基準年は平成25(2013)年1月1日時点の市町村で、一部の市町村は合併前の自治体名称で登録されています。 各災害事例は市町村単位で収録するため、同じ自然災害イベントが複数出現します。

平成28(2016)年8月31日現在の収録期間は416年~2013年で、約5万レコードが収録されています。

引用:災害事例データベース

 

岩泉町の水害の記録を見てみると、3.11の津波を除けば、直近にヒットするのは1981年の台風15号によるもの。

 

出典:国立研究開発法人防災科学技術研究所

出典:国立研究開発法人防災科学技術研究所

次に、1967年の秋雨前線集中豪雨によるもの。

出典:国立研究開発法人防災科学技術研究所

出典:国立研究開発法人防災科学技術研究所

1967年の水害もかなりのものです。まだ50年ほどしかたっていないので当時を知る方々も多くいらっしゃると思いますが、この水害を経験している方からしても、今回のような水害はなかったと証言しています。

 

これ以前を調べましたが、次に出てくるのは、1933年の三陸沖津波、1896年の明治三陸地震津波なので、今回のような台風や集中豪雨による川の氾濫は、分かりうる限り上にあげた2つの事例しかないようです。

出典:国立研究開発法人防災科学技術研究所

出典:国立研究開発法人防災科学技術研究所

出典:国立研究開発法人防災科学技術研究所

出典:国立研究開発法人防災科学技術研究所

それにしても明治三陸沖地震津波の被害は甚大なものですね。それとともに、この時代にこれだけの集計ができたことも驚きです。

 

今回の検証で見えてきたこと

今回、大正時代の旧地図と現在の地図での比較、災害年表マップから見る災害の記録を検証して見えてきたことは、記録上、岩泉町には過去これほどの水害はなかったこと(津波除く)、建物が建てられていないところにはそれなりの理由があるであろうということです。

氾濫原となっていた乙茂は水害になりやすい場所だと想像されます。道の駅いわいずみ、岩泉乳業を同じ場所にもう一度再建するのであれば、どのような対策が必要なのか検討すべきです。また、その他の地区で水害にあったところも、今回のことを教訓に新しい防災、減災の仕組みを構築していく必要があると思います。今までになかったことが起こったのです。”もとに戻す”ではなくて、”新しく創っていく”そういう姿勢が必要なのではないでしょうか。